こんにちは、モモ(momohsphss)です。
久しぶりにカラーセラピーをするきっかけとなった大きな気づき
人が集まってくれる
仲良くなれる
好意をもってもらえる
助けてくれる
特別なことだったんだなぁ……って、とつぜんのパラダイムシフト
周りに人がいること
努力が報われること
温かく迎え入れてもらえること
興味をもってくれること
ずっとずっと受け取り拒否をしていた自分に気づきました。
受け取ることを拒むナニカが発動して、現状に満足することを禁止していたように思います。
もちろん、その瞬間は無自覚。振り返って改めて自分を見つめたとき「あれは拒否っているよな」と感じました。
人が手助けしてくれること。思いがけない結果が出ること。
あー、またか
そりゃ、そうだよね
どこか冷めた自分がいることに「そんな態度じゃダメじゃない?」と思っていた。
っていう罪悪感のパターンを崩すのが本題です
それでね
今回も「周りに人がいるって当たり前じゃなかった!特別なことが起こっていた!」と気づいた直後は、優しさを受け取れなかった自分を責める罪悪感でいっぱいに。
でも、ノートに書き出してみたら
あれ?いつものパターンじゃない?
と思ったんですよね。
社会人になってから定期的に、過去の自分を責めるパターンをくり返している自覚があって。
去年の夏に「恵まれコンプレックス」を手放して生き方を変えようと決めたところでした。
なんで、もっと人を大切にできないんだろう
あのとき助けてくれた人がいたのに、気持ちを踏みにじってしまった
ワガママで自分勝手なことをしちゃった
自分のことしか見えてなかった
わたしは、いつも人の気持ちに応えられない
そうか、この罪悪感が苦しみの正体かもしれない。
ならば罪悪感を手放して、周りに人がいることに感謝して受け取ろうと決めたのです。
「何もしなくても人はいつもそばにいる」と当たり前に信じている。だからそういう現実になる。
すべてが奇跡だった
いつも奇跡が起きていた
仕事があることも
お金がもらえることも
人と生活できることも
社会と関われることも
良さをわかってくれる人がいることも
私には特別なことが起こっていた
であれば
人とすれ違うのも
どうしようもない人生の歯車
幸せとは
じゃあ、私の幸せとは?
そんなことを考えていたとき、ふと聴きたくなったのがbacknumberの瞬き。
あさぎーにょのカバーが好きなのでYouTubeで検索して再生。
号泣(;_:)(;_:)(;_:)
幸せとは 星が降る夜と眩しい朝が
繰り返すようなものじゃなく
大切な人に降りかかった
雨に傘を差せることだ
back number~瞬き~
私の幸せ・成功とは身近な人を大切にできることだった。
そして小さな幸せをめいっぱい味わって「満足」できる心が欲しかった。
そういえば去年の11月から意図的に”安心感”を探すようにしていたから、今回の気づきにつながったのかもしれない。
優しさを大切にしたから「優しさ」が返ってきた
罪悪感を手放すと決めて、大好きな服部カウンセラーのブログを読みまくって。
「なぜ、周りの人は優しくしてくれるのか?」
「なぜ、そこまで罪悪感を感じるのか?」
そんなことを自分に問いかけたところ
私自身が”優しさ”を大切にしたから、相手も”優しさ”でお返ししてくれたんだ!
と思いました。
であれば
ずーーーっと、人に伝えたいことだと思っていた「ひとりじゃないよ、みんなココにいるよ、一緒に楽しもうよ」というメッセージは、自分にも言いたいことだった!
受け取れない自分を責めて「ごめんなさい」と罪悪感をもつのではなく。人に頼って感謝して生きていこう。
4年前もやってた「助けて」って言うチャレンジ
約4年前の記事で「助けて」って言うチャレンジをしていた痕跡がありますが。
何も考えることがなくなって、はじめて
わたしは家族に愛されていた。両親は精一杯与えてくれていた
と気づいた
仕事を再開してから
思い切って仲間に「助けて~」と言って、お願いするチャレンジもしてみた
みんな、すごく優しかった
助けたくてウズウズしてたのだと、体感できた
「助けて」って言うチャレンジ
このときは一瞬だけ体感したものの、真正面から人の優しさを受け取る勇気までは出なかったみたい。
ん?ちょっと違うか。
こうして何度も向き合って「受け取る器」が広がってきたのかも!
ってことにして
優しさを大切にしている自分も
同じように優しさで返してくれる周りの人たちも
感謝して受け取ろう!