こんにちは、モモ(momohsphss)です。
いつもご覧いただき、ありがとうございます。
何言ってるかわからないと思うけど、自分用の記録をさせてください(って、いつもそうか笑)
ずっと不思議だったんです。
私は見えていることを言っただけ。見えた通りに動いただけ。
そこに「自分がこうしたい」という確固たる意志があるわけじゃなく。どちらかというと
伝わってきたことを必要としているであろう言葉で代弁しただけ
こんなこと言うと寂しくなる人がいるかもだけど。
自分が放った言葉や行動で人が反応したとき、あまり自分ごととして感じられないんですよね。
それが組織や仕組によって成し遂げられると、「見えないナニカの力が働いた」と感じます。
- だからこそブログは定期的に見直して、純度100%で自分の言葉だと感じる記事だけ残しています!
自分の発言に責任持たないって意味じゃなくて。むしろ慎重に。
受け取りやすく
理解しやすく
優しく染みわたるように
相手
空間
集団
目の前の個人と空間全体のバランスを見ながら「総合的にどんな言葉で表現できるのか」と考えながら。
見えていること、感じていることを自分の”体”を媒介させて放出しているような。
そんな感覚なんですね。
条件反射で感じてしまうこと
見えたこと・伝わってきたことが相手・集団にとって「良薬口に苦し」的な。短期的には居心地の悪いものだったり。
大事に、大事に。傷口を塞いでいる箇所だったり。
柔らかい部分を守るために、必死に作り上げた鎧だったり。
いわゆる触れてほしくない部分であることも。
「触れてほしくない」と自覚しているとは限らず、無自覚の場合も多いです。
もしくは薄々気づいてるけど、直視せずに傷口がどんどん化膿している。
そんなとき、私は条件反射で
痛みを取り除きたい
悲しみを和らげたい
弱さを守りたい
窮地から救いたい
なんて感じてしまうんですね。
対象が集団であれば「1つ上のステージに押し上げたい」とか思っちゃう。
集団は個人の集まりなので。そこにいる一人一人の困難を希望に変えて、楽しく笑顔で過ごせるようにしたい。
エゴだなぁ…思い上がるなよ
とか言いたくなるよね。
優しい人は「あなたが悲しみのすべてを背負う必要ないんだよ」って声をかけてくれるかもしれない。
「自分がやるべきことに、しっかり境界線を作って」と言われるかもしれない。
私もそう思う。同じこと自分に言い聞かせたから。
人の頭のなかにある言葉を代弁しなくていいんだよ
そのうえで、です。
私はリーディングしていた!って考えると、すごい納得。
大きな視点になると
市場を”読む”
場の空気を”読む”
ってことになり、マーケティングになる!
専門家さんには「間違ってる!」って言われるかもしれないけど。
私としては、そういう前提で捉えてみると、長年の謎が解けた気がして嬉しい。
人の頭のなかにある言葉を追わなくていい
人が言わんとする言葉を代弁しなくていい
もう自分の言葉や行動を見張らなくていいよ
仲良くなるために「同じ」にならなくていいよ
「違う」ままで1つになれるから
そうやって自分に言えたとき、肩の力が抜けるような。視点が自分に戻るような。
客観から↓
主観になる感じ↓
見えてる対象が違うけど気にしないで!
”視点”とか”視座”の違いを伝えたいだけだから!
能力の使いどころを見極めよう!
なんだか、いろいろと自分のやっていることが解明されてきて。
いままで無自覚に使ってきた能力も、ちゃんと自覚してケアしていきたいな。
もっと自分の能力を信頼して、意識的に使えるようになりたい。
良いこと、楽しいことに使えそうな気もするし。
って思ったので、チャネリングやリーディングをちゃんと学びたい気持ちが強くなりました。
能力の使いどころを見極めて、人生を楽しむために。
心強いサポーター。味方。頼れる相棒。
そんな存在を見つけた感じです。
怒涛のアウトプットは一旦終了です。
お付き合いいただき、ありがとうございました♪
とか言って続きます!