心は閉ざしたまま、どうにか相手の意図を読み取って、間違えないように振舞うことに必死だった

わたしのライフワークのひとつに「キャラクター研究」があります。

「人間の性格はどうやって作られて、どのように変化し、意思決定に反映しているのか?」というのが大きなテーマです。

英語の”Character”は「刻み込まれたもの」という意味で。

ユングの心理学的タイプ論では、もって生まれた、生涯変わらないものの見方や感じ方になり、成長過程で身につけた「人格(Personality)」とは区別して考えます。

著:C.G. ユング, 翻訳:道義, 林

人間の性格は

  • 生まれつき備わった部分(遺伝的要素)
  • 成長過程で学んだ部分(環境的要素)

この2つが相互に影響しあって形成されているんですね。

気質、性格、人格……いろんな用語があってややこしいので

思考と感情、価値観、行動の動機、認知といった主観的感覚と、態度、生活環境、対人関係といった客観的事実の相互影響についての調査

これを「キャラクター研究」と呼んでいます。

「その考えはどうやって身についたのか?」

「なぜ、その行動を取るのか?」

「どんな経験が影響を与えているのか?」

「パラダイムシフトはどうやって起こるのか?」

こんなことをずーーーーーーっと考えているオタクです笑

研究方法は、実地調査がメインです。

ようするに、実際の日常生活で人々を観察して、話を聞いて、あとから理論と結び付けて「なるほど、そういうことか」と考察し、ノートに記録したりしなかったりします笑

キャラクター研究のはじまり

もともと幼稚園のころから友達と遊ぶのが好きで、いつも人に囲まれるタイプでした。

それが高校に行ったら、なんか「しっくりこない感じ」があって。

友達は仲良くしてくれて、誕生日祝ってくれたり、お泊りしたり、放課後に遊んだり。物理的には孤立しないんだけど、精神的にものすごいエネルギーを使って合わせに行ってる感じ。

シンプルに、友達が興味あること全然興味もてなかった笑

だれでも経験する思春期の葛藤だと思うけど。

いじめられたわけでもないし、イヤなこと言われたわけでもないし、むしろ仲良くしてくれて、気にかけてくれるから。「この子とは合わない」なんて考える余地もなかったんですよね。

むしろ中学生のときは、「嫌いな人がいない!同じ学年の子、みーんな好き!みんなで仲良し!」くらいに思っていたので。

世の中には、性格的に合わない人間がいるという事実を知らなかったのです。

さらに部活の顧問は怒鳴って威嚇するタイプの男性で、怖くて怖くて練習のたびに過呼吸になり。

家に帰ると両親は冷戦状態でピリピリしていて、部屋に引きこもりがちになって、ずーっと泣いてました。

このとき泣きながらループ再生していた曲が、浜崎あゆみの”A song for xx”です。

どうして泣いているの

どうして迷ってるの

どうして立ち止まるの

ねえ教えて

いつから大人になる

いつまで子供でいいの

どこから走ってきて

ねえどこまで走るの

居場所がなかった 見つからなかった

未来には期待できるのか分からずに

いつも強い子だねって言われ続けてた

泣かないで偉いねって褒められたりしていたよ

そんな言葉ひとつも望んでなかった

だから解らないフリをしていた

どうして笑ってるの

どうしてそばにいるの

どうして離れていくの

ねえ教えて

いつから強くなった

いつから弱さ感じた

いつまで待っていれば

解り合える日が来る

もう陽が昇るね そろそろ行かなきゃ

いつまでも同じ所には いられない

人を信じる事って いつか裏切られ

はねつけられる事と同じと思っていたよ

あの頃そんな力どこにもなかった

きっと 色んなこと知り過ぎてた

いつも強い子だねって言われ続けた

泣かないで偉いねって褒められたりしていたよ

そんな風に周りが言えば言うほどに

笑うことさえ苦痛になってた

一人きりで生まれて 一人きりで生きて行く

きっとそんな毎日が当たり前と思ってた

心は閉ざしたまま、どうにか相手の意図を読み取って、間違えないように振舞うことに必死だった

心療内科に行ったら適応障害と診断され、学校も遅刻や早退が増えました。

遅刻したときは、授業中に教室に入るのが恥ずかしくて。

だれも通らない図書室のベランダから、ボーっと校庭を見下ろして、楽しそうに体育の授業をしている生徒を見て「あそこで走っている人たちは、どんなこと考えているんだろ?」とぼんやり考えていたんですね。

この経験がきっかけで、「人間のことを知りたい」と思って、心理学部に入りました。

でも理論を知るだけでは、実生活で活かせなかったのです。

大学では同じ興味関心のある友達に囲まれて、どんどん元気になり、やりたいことに夢中になってバラ色の学生生活を送りましたが。

社会人になると、また適応障害のような現象に悩まされるようになったのです。

友達と仲良くなる

彼氏を作る

上司や後輩と一緒に働く

深い心でつながって

お互いを支え合いながら

関係を築く

何も考えず当たり前にできることだと思ってた。でも「当たり前」が難しい。

大人になってから再び進路に迷ったとき、北野唯我さんの”分断を生むエジソン”を読んで泣きました。

君は人間の愛のために戦った。だが、その肝心な、人間についてまだ何も知らない。

分断を生むエジソン

確かに人間を愛していた。だけどそれは概念としての愛だった。

分断を生むエジソン

これ読んで、「わたしは頭のなかで分析しているだけで、”生身の人間”を理解していなかった」と気づいたんですよね。

自分の心は閉ざしたまま、どうにか相手の意図を読み取って、間違えないように振舞うことに必死だったのです。

そこに【相手】はいなかった。いるのは、わたしの頭のなかだけ。

人間は10代で失ったものを20代以降に取り戻すように生きる(らしい)

どこで聞いたか忘れたけど、

人間は10代で失ったものを20代以降に取り戻すように生きると言われている

らしいです。

わたしは10代で失った”人とのつながり”そして”自分”をずっと探しているんだと思いました。

ただただ暗い更新にお付き合いいただき、ありがとうございます!

これはそのうち削除しそうな気がする!笑

この記事を書いた人

心理セラピスト/チャネラー/エンジェルメッセンジャー/HSS型HSP
16歳で適応障害になったことをきっかけに大学で心理学を専攻。対話を軸にしたアプローチが得意で「なぜか自分責めが減る」という声をよくいただく。フワフワした雰囲気と鋭い分析のギャップが人気。同じ気質の夫とふたり暮らし。
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