理解の壁に悩む。才能・能力って好きになれない

こんにちは、ももか(@momohsphss)です。

ずっと『才能』『能力』『天才』という言葉が嫌いで、わざわざ欲しがる人の気持ちも理解できませんでした。

「振り回されて苦しんでいるのに、なんで強調しなきゃいけないの?」なんて思って。

私を苦しめる才能なら消えてほしい

天才の育て方とか、タイトルにしている本もあるけど。

天才は天才であることを望んでいるとは限らないし、能力を消したいと思っているかもしれない。

っていうか、普通になりたいとさえ思っているのに、わざわざ他人が勝手に伸ばすなんて、天才にとっては残酷な現実なんじゃないかと、思ってしまうんです。

才能だってそう。

才能に振り回されて傷ついて苦しんでいるのに、「そう言っておけば特別っぽい」みたいな意図を感じて、すごく嫌でした。

私を苦しめるのが才能なら、消えてなくなって欲しいと思っているのに。

特別にならなくていい、突き抜けなくていい。ただ、理解してほしい、感覚をわかってほしい、穏やかでいたい。それだけなのに。

もてはやして、注目して結局「理解できない」と離れていく。

理解の壁に悩むオタクのリーダー

私がこれまで多く悩んでいたのは、

  • 自分のやっていることを人に共有する難しさ
  • 相手が求めているものに応えられない自分への苛立ち

でした。

小学生時代からリーダーに指名されることが多くて、チーム運営やビジョンの共有、マネジメントは20年以上取り組み続けている課題です。

 

オタク気質なので、誰に求められるでもなく、人に注目されずに研究できる時間がとても楽しくて。

自分の世界に人が入ってきて注目され出して、「私のもの」から「みんなのもの」になると、つまらなくなって離れる、という繰り返し。

趣味なら関わらなければいいし、飽きたら次に行けばいいけど、仕事じゃそうは言ってられません。

人との共存が求められるし、意図を伝えないといけないし、いつも『理解の壁』にぶち当たるんです。

私の見ているゴールと、相手の求めるものは違うし、私の尺度で見たときの『理解した』と、相手が消化できる『理解』の尺度が違うから。

自分の考えや行動を、わかりやすく、再現できるように人に伝える段階になると、いつももどかしくなります。

最近気づいたのは、私の欲しているスピード感は多くの人とは違うんだってこと。きっと、私が想像している以上に人は行動しないし、変化を求めていない。

アインシュタインの相対性理論のように、時間間隔は人それぞれ違う。

そこがわかっていなかったから「伝わらない」「理解してもらえない」と思っていたんだなって。

私は行動することでしか変化を得られないと思っているし、自分に対しても人に対しても、変化への興味がものすごく高い。机に座って知識を入れるだけじゃなく、実際に体感してみたい。

人の見ている世界が知りたい。どんな世界を見ているんだろう?何を感じて、何を考えているんだろう?

そんなことを想像すると、目の前の人に憑依した感覚になって、思考や感情を追体験できるんです。

才能を見抜く才能

私の人生の大きなテーマは、人の才能について考えることかもしれません。

人の才能を活かすには、自分の才能に気づく必要があります。

どんな能力を持っていて、何ができるのかを見抜くには、立ち位置や見えている世界の違いを知らないと、人に伝えることはできません。

リーダーというポジションで悩み続けたのは、『能力・価値観・行動』の違いを知って、人が才能を発揮するのに必要なことを研究するためだったのかな。

本当に一人ひとりに素晴らしい面があって、その事実に本人が気づく瞬間を見れると、魂が震える感覚すら覚えます。

 

ずっと違いに気づかず、「理解してよ!」「なんでわかんないの?」と思って寂しくなっていたけど。

私がみんなの世界にお邪魔して、みんなが理解できる言葉で、みんなが必要としているものを、私にできる表現で伝えればいい。

ここ数年、HSPを通して自己理解を深めたのは、「人のことばかり考えてないで、自分のことも考えなさい!」というメッセージだったのかな。

だって、自分のことがわからなければ、人のことなんてわからないから。

私はずっと「それぞれの力を発揮して、みんな仲良く暮らせる世界」を望んでいて、実現のために悩んだり壁にぶつかったりしているんだと、薄っすら感じ始めています。

とりとめもない長文でしたが、読んでいただいてありがとうございました。

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