こんにちは、ももか(@momohsphss)です。
今回は特別投稿ということで、HSS型HSPのクライアントさんに記事を書いてもらいました。
前例のない試みなので、経緯を少し説明させてください。
これまで何度か相談に乗っていたのですが、先日連絡をもらったとき「今必要なことは、素直な言葉を出し切ることだ」と感じたので、私のブログに記事を書くという条件で相談を受けることにしました。
テーマも内容も全てお任せしたのですが、想像以上の結果に私の方が感動で泣いてしまいました。(まさかの流れ弾)
生きづらさを解消の大きな1歩を踏み出した等身大の言葉を、ぜひご覧ください。
それでは、どうぞ。
小学校のトラウマ
小学校の担任の先生がとても支配的な人で、大人しく声が小さかった私は毎日とても叱られました。
「声を出しなさい」と、みんなの前で発声練習をさせられるのが毎日で、かなりストレスを感じて声が出なくなっていました。
他にもたくさん心の病を抱えていました。
- 自分が話す場面を人から聞かれたり、人から見られたりすることが嫌
- 一対一は大丈夫、大勢はダメ
- 恥ずかしくて顔が赤くなる
- 髪型や服装が変わると自分と認知されないんじゃないかという恐怖感
- 人から変に写っているんじゃないかと過剰に気にする
- 人前での食事が怖い
- 人前で字を書く事が怖い
- 息の仕方がわからなくなる
私はこれらを自力で克服していき、段々誰とでも親しげに話せるようになっていきました。ですがこの頃から、「恥ずかしさ」や「恐怖感」の感覚を感じなくなりました。
家族の仲裁役
私は同時期、家でもとても苦悩していました。学校の事は恥ずかしくて絶対に言いませんでした。学校に行かないという選択肢もありませんでした。
家族とは仲が良く、特に母からは溢れんばかりの愛情を受けて育ちましたが、家は貧しく、母と母の彼氏は毎晩、喧嘩をするので、私は両親の仲裁をしていました。(アダルトチルドレン、ケアテイカーイネイブラー)
そうしているうちに、私は人の気持ちや物事の因果関係が手に取るようにわかるような気がしていました。
2人が理解し合えないほど、めげずに試行錯誤しました。ですが、私の言う事は理解されず、苦悩しました。
そうやって、私は母の一番の親友で、話を聞き、話し合い、視野や思考を広げ、共依存関係になりました。
社会人になり、遠く離れても、母の心や体の苦しみや悲しみが伝わってきて、苦しくて堪らなく、母の側にいない自分に酷く罪悪感を感じました。
私は、自分の中の当たり前や固定概念、洗脳を外してきたので、人が何かに縛られているとすぐにわかるような気がしています。
私はずっと、周りはみんな不完全で、大抵自身で最善策を見つけられない。そのせいで人は理解し合えない、だから私がわからない人たちに分かるように話せるようにならなきゃいけない。どうしたらうまく説明ができるだろう。
ということに、悩んでいました。だから幼い頃から人と会話すると嫌悪感を感じていました。
常に上から目線だったり周りくどい、と相手に思われるという自覚はあったので、会話すると
(○○ちゃんと話すと疲れるなあ)
(否定しかしないし、話長い)
(上から目線でウザい)
などと、心の声が聞こえてくるようで、その度に、相手の為に言ってるのにわかってくれない。むしろ失敗ばかりで私が話せば相手はストレスを感じている、と感じ苦しみました。
- 自分が話す事によって人からどう思われるのか気になって仕方がない
- 人の目が気になり動作がぎこちなくなってしまう
- 「人にまた嫌な気持ちにさせてしまうのではないか」と怖くなり自分を嫌悪する
- 「こんなことを真剣に考えている自分は異常ではないか」「人に相談したら気が狂ってると言われるんじゃないか」と恐れ、やがては人付き合いも出来なくなってしまう
- 気が狂いそうになる
- 自分や他人を不幸にする事は絶対にしてはいけないと強く思うからこそ、自分を恐れ怖くなってしまう
他人と普通の会話が出来ず、エナジーバンパイアになってしまう自分に悩まされました。
自分が自己愛性パーソナリティ障害まんまであると気づき、全ての謎が解けたような気分になりました。
わかる事において、人より優れているという感覚が異常にある。
それがまさに私の自己愛の肥大化でした。もしかしたら、その、わかるという感覚自体も、妄想なのかもしれません…。
等身大の自分が分からない自分に、やっと気が付きました。
小さい子供の自分を見つけてあげれた
私は自分に何が起こっていたのか、等身大の自分を知りたくて、過去を振り返りました。
悲しい記憶を辿ると、涙が出てきましたが、一つ一つ思い出していくと、忘れてしまっていた記憶が蘇ってきました。
私は思い出しました。
元々私は、家族や、親しい人に対しては活発な子でしたが、いざ外に出ると引っ込み思案で、怖がりで、泣き虫で、心を開けない子でした。
小さい頃、仲が良かった子はみんな、私が喋るのが苦手で内気でも、私の手を引き、いつも優しく一緒にいてくれました。
自分ではわからなかったけれど、今ならわかるような気がします。
私は、みんなからみて、素朴で、大人しかったけれど、そのままで可愛いがられる存在だったという事に。
私は、そのままでよかったんだと、今になってやっと、気付く事ができました。
私は、誰の気持ちも読もうとしていなかったし、読まなくても、優しくしくされて、安心して、そのまま受け入れられていました。
その感覚が身体中に広がって、硬くなって何も感じなくなってしまっていた心が解かれていくのを感じました。
私は本当の自分をやっと見つけてあげる事が出来ました。傷付いた小さな子供の私を、見つけてあげることが出来ました。
今の自分がトラウマから出来たら偽りの自分であることを知ると、私はあっという間に本来の自分に戻ったような気がしました。
ももかより
良かったよ~(ノД`)・゜・。
本当に、本当に、良かった(ノД`)・゜・。
初めてカラーセラピーに申し込んでくれたとき、1度断ったのを覚えてる?
あのときはね、メールを読んであまりにも混乱していて、私の腕にすがるようなイメージが浮かんで。「この人の望むものを、私は提供できない」と思ったの。
お断りの返信をしたとき、諦めずに必死に訴えてくれて。私は「自分の力で動くとお約束していただけるなら」と念を押して、承諾したんだよね。
初めて対面でお話したとき。瞳は黒く淀んでいて、世界に絶望しているようで、今にも消えてしまいそうな気がしたよ。
だけど、その瞳の奥には、とてもピュアで優しい姿が見えて。
過去の自分と重なる部分もあって、「ひとりで必死に生きてきたんだなぁ」と感じて、胸が熱くなったの。
思わず、「たくさん…頑張ってきたんですね…」と言葉が出てしまったのを覚えているよ。
あれから、何度か連絡をくれて。いつも一生懸命に生きている姿を見て、私は妹のように大好きになったんだよ。
自分の意志で道を切り開ける人だと思っていたから、あまり直接的なアドバイスはしなかった。ただ、「これからどんな未来を歩んでいくのかな?」と、話を聞きながら想像するのが楽しかったんだよ。
今回、次の道に進むという報告を受けたときに、私が返信した内容が、初めての直接的な励ましの言葉だったと思う。
これからも、壁にぶつかったり、迷ったりするはず。自分を見失って落ち込むことだってある。
でも、大丈夫。絶対、大丈夫。
ずっとずっと、そのままで、いいんだからね。