個性を消して普通になりたかった私が、個性を消した先で見たものとは

なにも感じず、ただ穏やかに暮らしたい

もう生きるのに疲れた

いつ死んでもいい

繊細さが才能?能力?私を苦しめる才能なら、消えてなくなれ

↑これは、私の頭に何度も浮かんだフレーズです。

もともと、個性・才能・能力という言葉を聞くと「そうやって言えば特別っぽい」という意図を感じて、嫌いでした。

個性を消して普通になりたいと思っているのに。その個性で悩んでいるのに。

いま、内面を表す名前の威力について、しつこく説明するのは、名前に翻弄された経験が背景にあります。

私は16歳で適応障害と診断され、4年間心療内科に通って薬による治療を受けました。

大学生になって一気に回復し、通院も終了させ、「治った!もう普通だ!」と思って、意気揚々と社会人になったんですね。

ところが、再び適応障害のような症状が出るようになりました。何度も、何度も、です。

入社2年目になると、中学生のころから持っていた過呼吸の発作が、毎日出るようになりました。

外回りの途中で倒れて救急車で運ばれたこともあります。

適応障害、治ってなかったんだ。私はずっと障害者として生きるのかな。このまま環境が変わるたびに、苦しまなきゃいけないの?

そんなことを考えて、人生に絶望していたんですね。

20代の後半になり、「若さで勝負できる時期は終わった」と思い、内面磨きを始めました。

そこで、ずっと見ないようにしてきた【心】と向き合う決意をしたのです。普通になりたかった私にとって、再びカウンセリングに通うのは屈辱でした。

だって自分がオカシイ奴と認める行為だと感じたから。

薬を避けてなるべく自然な方法を探し、いろいろ試していたとき、HSS型HSP気質だと気づいたんです。

「なんだ!病気じゃなかった!私はずっと普通だった!」

気質の特徴を理解したうえで生活習慣を見直すと、借金を完済して貯金ができるようになり、両親と昔のように喋れるようになりました。

このエピソードを話すと、アンチ精神医療の人だと思われそうだけど、私は病名によって道を開いた経験もあるのです。

摂食障害に関しては、真逆の現象でした。

自分の食べ方が普通じゃないと薄々気づいていたけど、「私は問題ない」と思っていました。

まぁ、正しくは、そう言い聞かせていたのかなぁ。

HSS型HSPだと気づいて生活を立て直し、最後に残った課題として、食事に取り組むことにしたんですね。

専門の機関でカウンセリングを受けたときに「重度の過食症です」と言われ、初めて、自分に起きていることを認識しました。

病名がついて、しかも国が難病に認定していると知って、やっと向き合う覚悟ができたのです。

カウンセリングで病気について教えてもらって、自分でも専門書を読んで勉強して、衝動を減らしていきました。

これが病名によって道を開いた経験です。

病名を手放した先に待っていたもの

長年の努力によって、与えられた全ての名前を手放し、「やったー!ついに、本当に普通になったー!」と解放感を感じた私。

ところが、そこで待っていたのは、仕事でミスして落ち込むし、相談する前には長時間悩むし、人間関係はすれ違う。

苦手な人もいるし、上手く対応できないし、ストレス溜まってネガティブになる。

相変わらずな私。

病気の症状を消せば、みんなと同じように過ごせると思っていたのに、なんだか違和感が拭えない。

すべては「私だから」という現実でした。

この事実に気づいたとき、目の前が真っ暗になってマジできつかった…(゜_゜)遠い目

病気に逃げたり、言い訳にしているつもりもなく、むしろ手放すために努力していました。

だけど、その行為の根底にあったのは「この問題を解決すれば幸せになれる」という考えです。

病気じゃなく、もって生まれた性質だから、無理して消そうとしなくていい。

だけど、いまある現実的な問題をゼロにすれば、その後の人生は一生安泰(お金がない、仕事も恋愛も続かない、など)

くらいに思ってた。

病名という個性を消したくて、すべて手放した先に待っていたのは。

シンプルに「私」という個性でした。そこには、代り映えせずに、できないこともあるし、できることもある。

そんな私だったよ。

というお話でした。

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この記事を書いた人

ばば ももかのアバター ばば ももか 心理カウンセラー

高共感体質の生きづらさ専門カウンセラー
このサイトは個人的な記録用の雑記ブログ。
ジャガイモが好きで雨に弱い。