使命
才能
ギフト
天才
能力
強み
という言葉がキライだった、ももかです。
特別になんて、ならなくていい。人と違う「私しかないもの」よりも、みんなと同じものがほしかった。
注目されなくていいから、仲間でいたかった。
そんな私ですが、使命の話をします。
使命とか天才とか言えば、人が喜ぶと思ってる?
使命と聞いて、どんなイメージが浮かびますか?
生まれてきた意味?目的?
この人生で成し遂げる壮大な物語?
やりがいのある楽しい仕事?
どうでしょうか……
私は、「使命っていう、気持ちよくなれそうな言葉に逃げて、現実が見えなくなったら終わりだ」くらいに思っていました。
才能、能力、ギフト
そんな抽象的な言葉で片付けて、「あなたは特別だよ」っていう耳触りの良いメッセージにして。実際は、本質的には何も知らない、空っぽな人なんじゃないか?
みたいな、不信感、疑いの目、防御反応が出るくらい、毛嫌いしていたのです。
天才って言えば、人が喜ぶと思ってる?
天才は、天才になりたくて、なってるんじゃない。才能で苦しんでいる人だって、いるんだ。
エゴで勝手に天才に仕立て上げて、期待外れだと思ったら興味なくすでしょ?
あなたが、私の人生を歩んでくれるわけでもないのに。その才能と一生付き合っていくのは、こっちなんだよ?
無責任なこと言わないでくれる?
私を苦しめる才能、能力なんていらない、消えてほしい
と、思っていて。
- 才能開花
- 強みを伸ばす
- 天才を育てる
といった言葉を見ると、体がこわばって、逃走の準備を始めますww
使命に導かれて、ここまで来た私
なのだけど!!
そんな考えとは裏腹に、私は使命に導かれて、ここまで来たといっても過言ではないのです。
っていうか、実際、そうなのです。
最初に「これが私の使命だ」と、直感で思ったのは2017年。そう、HSS型HSP気質だと腑に落ちたとき。
いままで、たくさん悩んできたのは、
この気質のことを発信するためだったんだ!
と、それまでの経験が全てつながった感じがして、すごく納得感があって、「なるほど、そういうことか」ってなったんですよね。
ハッキリと言葉にして「使命だ」と思った、というよりも。
【言語】を超えて、意識のなかで【そうだ】と、すでに【知っている】と、当たり前に思う感じ。
思い出す、といった方がいいのかもしれない。
そんな経験をしたのだけど、それでも相変わらず、
- 使命
- 才能
- 能力
といった言葉には、とても抵抗がありました。
特別なことだと思わなかった
私の抵抗なんて、おかまいなしに。現実はスピード感をもって流れていて。
ブログを書けば読者さんが増えて、Twitterをやればフォロワーさんが増えて、すごい方と個人的に関わることができたり。
だけどね、こういう「予想外の結果に、あっという間に辿り着く」って、私にとっては日常茶飯事で。
良くも悪くも、サプライズにまみれた人生なので、あんまり特別視していなくて。
まぁ、そういうこともあるよね……
くらいに思ってました。(いつか最悪の結果になるのでは?という恐怖とともに)
明らかに、それまでとは努力の仕方も、得られる結果も、質(内容)が変わっているのだけど。
現実に起こっていることに対して、自分の理解力が追いつかなくて、だから言語化も気持ちの整理もつかなくて。
なんか必死に目の前のことに向き合うだけで、精いっぱいの毎日でした。
降参したので書きます
で、そんな毎日を送ってきて、なぜこのタイミングで記事にするのかと言いますと。
昨日の夜、降参したからです。
2020年12月頃から、不思議な現象が起こるようになって、何度も「天使」というキーワードを意識するようになっていました。
天使の羽を拾ったときの記事もあります↓
なのだけど。
現実主義、理論ベース、実際に自分の目で見たもの以外信用できない、っていうタイプだった私は、自分に起きている現象を理解することを拒み続けておりました。
わからないと言いつつ、本当は
わかりたくない
わかるのが怖い
(だから色々見せられたのだと、いまでは思う)
そうやって頭では考えているんだけど、一方で、
記録しておきたい
話したい
ちゃんと見ておきたい
っていう自分もいて。
変な人だと思われたくないから、一部のコアな読者さんしか見ない日常ブログに、コソコソと記録をしていたのです。
直近の記事はこちら↓
なんか長くなったので。
降参するに至った、ここ1週間のできごと、使命に気づいた話は、次回しますね!