おそらく大人になってから。
恋愛でも友人関係でも、「ずっと」とか「永遠」みたいな言葉に拒絶反応があった私です。
いま振り返って、その現象に名前をつけるなら見捨てられ不安と呼ばれるものに該当すると思う。
でも本人は、その現象に名前がつくことすら知らなかった。
ただ、ただ。
大好きな人が自分から去ってしまうと考えると、親密になるのが怖くなっていたんですね。
「ずっと」なんてない
とにかく些細な変化を受け入れるのに時間がかかるみたいで、
- 時の流れ
- 成長
- 気持ちの移り変わり
みたいなものを理解して心に落とし込むのが苦手なんですよね。
自分自身の気持ちの変化や相手の成長といった、時の流れとともに状態が移り変わっていく、当たり前の現象を理解しはじめたのは最近です。
ずっと変わらないと思って疑わなかったけれど、現実は「ずっと」なんてない。その事実が怖くて、得体の知れないオバケと対峙するような気持ちでした。
いちばん大きな混乱は、高校生のとき家族がギクシャクしたことでした。
思春期の変化と家族の混乱
中学生までは、近所に住んでいる友達とか、幼稚園からの付き合いの子とか、わりと小さなコミュニティのなかで生活していたけど。
高校生になって生徒数も桁違いになり、知らない地域から通う子がいたり、自分が把握していない背景をもった人たちが集まって、心のなかはパニックが続いていたんだと思います。
同じ時期に家族のなかでもトラブルがあって、「離婚するのかな?」と毎日不安でした。そして思春期ではよくあるけど、父を毛嫌いするようになったんですね。
みんなで笑った家族の時間。
いろんな場所に連れて行ってくれて、楽しませてくれる父との関係。なんとか守りたくて必死に笑顔を作って、楽しくて気が利く良い子になったけど。
愛想笑いを続けるほど心は空っぽになるようで。ついに笑えなくなり、部屋に引きこもるようになりました。
気持ちが離れると悲しいから大好きにならないようにする
恋愛が続かないのは中学生のころからだけど。
社会人になると「気持ちが離れたとき悲しいから、のめり込まないようにしよう」と思うようになり、あえて大好きにならないように心で距離を取るようになったんですね。
これは恋愛だけじゃなくて、仕事も一緒です。
溢れる情熱をすべて注ぎたい気持ちと、どっぷりハマらないようにセーブする気持ちで常に葛藤があって、いつもイライラしていました。
のめり込んでしまうと、気持ちが冷めたときに悲しくなるし、裏切られた感とか自分の至らなさを直視するから。
だけど親密さも渇望していて完全に一人にもなれず、離れられないけど一緒にいたくもない。みたいな状態だったんですね。
ずっと一緒だよ♡って可愛く言うカップルを見ると、「ずっとなんて無責任なこと軽々しく言うな!」とトゲトゲした自分がいました。
変化を楽しむ
ここ2年くらい、私のところに定期的に訪れるワードが変化を楽しむでした。
最初のうちは、
意味わかんない!どうやればいいのよ!?
と思っていたし、変化に恐怖心を抱いている自分の存在をリアルに感じることもできませんでした。
不安と恐怖心からパニックになって衝動的に行動していることは、既に突き止めた事実として認識していて。
動くまえに一呼吸おいて、体の感覚を確かめる習慣もついてきたけど、楽しむ感覚ってよくわからなかった。
前向きにとらえる
最近やっと、変化を前向きにとらえることが、楽しむってことなのかなぁ?と頭に浮かぶようになりました。
人間は不確実で、常に変化し、成長するものである
という前提でいればいいのかって。
世界は想像よりも優しいところだよ
見捨てられ不安を癒すまでに、とてもとーっても時間がかかりました。
自分と向き合うと決めて、見捨てられ不安があると気づくまで3年。自覚してから気持ちの落としどころを見つけるまで3年。
そのあいだには、既に生活のなかで充満している、たくさんの優しさや愛情に気づき。
拒否反応を起こす自分を何度もなだめながら、やっと頭でグルグルしている段階から腹に落ちました。
世界は想像よりも優しいところだよ。