相談を受けていて、「本当にみんな一生懸命生きているな」といつも思うのね。
命と真剣に向き合って、ひたむきに生きているのだけど、本人はそれが生きづらい。
これって、大勢が見逃す人の営みの偉大さを感じられるから生まれる感覚だと思うんです。
人より感じやすいために人よりも傷ついて、心を壊してまで戦って、立ち向かおうとする。ほんと、よく生きてるよ、諦めずに。
みんな我慢してるから
たくさん悩んで命を捨てる試みもしてきたけど、きっと私の苦しみなんて、他の人に比べたら大したことないと思っちゃう。
幸せは人と比べるものじゃないと言うけど、苦しみになると
みんな我慢しているのに、私は耐えられない
世界には私よりツライ人もいるんだから
私が逃げているからいけないんだ
なんて思って、自分の感覚を押し殺して、知らない誰かの気を使ってしまう。
あまり大きな声では言えないけど、コロナが流行り始めたころは「あぁ、そう来るか。ウィルスだろうが、いつかナニカの形で終わる人生だから」なんて、自分の人生を考えてました。
人それぞれ幸せの形がある、好き嫌いも人それぞれっていう言葉は自然と口に出てくるけど、苦しい感覚は「みんな我慢できるのだ」と標準化する謎の理論。
好きなものは好き、イヤなものはイヤ、それでいいじゃん!堂々と主張すればいいじゃん!って思うけど、何度自分に言い聞かせても、いつのまにか元の思考に戻ってる。
たった1回の「傷ついた」が刺さって取れない
ずっと自分のことより周りの気持ちを優先して生きているのに。
うっかり相手の地雷を踏んで、たった1回「傷ついた」と言われて心の奥に刺さって取れなくて。その言葉で自分も傷つく。
私は人の気持ちを考えられない人間なんだ
思ったことをそのまま表現したらダメなんだ
空気読めなくて普通の感覚じゃないんだ
私は人のことを傷つけてしまう人間なんだ
と思って、言葉も気持ちも飲み込んでいく。
心のなかはボロボロで、いまにも爆発して狂いそうなのに、だれにも伝わらない。すべてを投げ出してゼロにできたら、どんなにラクか。
いっそのこと再起不能なくらい壊れてしまえば、この苦しさが伝わるのかな、とか考えちゃう。
だけど、いざとなると迷惑かける申し訳なさが出てきて、けっきょくカメレオンのように社会に潜んで、いつか終わりが来るその日を、ただジッと待つ。
っていう日々を送っていた、私です。
生きてくれて、ありがとう
何もわからなくても、前にも後ろにも進めなくていい。見ている世界を教えてくれるだけで、それだけで私は。
これまで何度も自分を諦めきれなくて、いつか心から笑える日が来ると思って、ここまでやってきた自分自身に
生きてくれて、ありがとう。諦めないで立ち向かってくれてありがとう。
と、言えるんだよ。
存在しているだけで、その言葉を伝えてくれるだけで、ここにいる一人の人間が救われるのです。
いまは苦しくて八方塞がりかもしれないけど、それでも。生きてくれて、ありがとう