自己否定して努力する期間が長かった人ほど、自分を受け入れることに大きな抵抗感が生まれます。
だって、否定して改善しようと頑張って来た部分だから。
「そっちに進んだらダメだから、一生懸命やってきたのに!!!」
「あんな風になりたいと思う姿は、実際の私とは真逆のタイプだったの!?!?」
みたいな、現実を直視する瞬間があるんですね。
たとえば、前回の記事で書いた「自分がないという自分らしさ」
人に流されやすく優柔不断じゃダメだから、強く自分軸を持って生きようと思っていたのに。
人の気持ちを優先して決断を後回しにする。それが自分だった。頑張って探さなくても既に自分を持っていた。
なーんて答えに辿り着くのですね。ガッカリしますよね。
私は、自分がマルチタスクだと信じて疑わなかったけど、究極のシングルタスクだと知ったとき、血尿が出ました(笑)
当時の記録↓
相対評価で自分を見ている
一筋縄に腹落ちしないのは、特性論的な見方が強いからです。
どうしても普通に生活していれば、自分を表現するときは相対評価になります。
親や先生、上司から言われたこと
過去の経験
こうした外からの情報で自分を評価し、足りないこと・改善すべき部分に目を向け、できないことができるようになる。
それが多数派の成長論です。
ここから「人と比べない自分」になるのは、わかっているけど難しい。
だって自分の持っているものは、ものすごーくダメな部分に見えるから。
ダメだと思う証拠ならたくさん出てくるんですよね。
悩んでいると、どうしても手っ取り早く現実を変える答えが欲しくなります。
たとえ耳が痛いことでも
「あなたは積極性が足りないので、もっと飲み会に参加してコミュニケーション力を鍛えましょう」
と明確に言われた方が行動に移しやすいです。
時間をかけて自分と向き合うメリットは、環境が変わっても応用できること。
私は類型論の見方を採用しているので、「あなたは○○タイプです」と断定や診断はしません。
本来の自分に気づけるように、情報提供したり、問いかけたりしてサポートします。