小さい頃から、集団に入ると、周りの出方を見てから、自分の振る舞いを決めるところがありました。
記憶の中では、4歳頃から。
『幼稚園』という集団の中で、先生の期待を察知して、他の園児たちが求めていることを読んで、「私は何をすればいいのか?」と考えていた気がします。
無意識でしたが。
とくにキッカケはなく、気づいたら自然とそういう振る舞いをしていた感じです。
先生たちから「ももちゃん先生」と呼ばれるようになり、ならば私はその役割を担えばいいのかと、当たり前に受け入れ、先生の言動を観察し、同じように振舞うようになりました。
そして、先生から褒められたり、友達から求められるようになると、「私はここにいる」と感じるのです。
家族に対しても
思春期の頃に、両親が離婚の危機に陥ったときも。
「家族がバラバラにならないために、私はどんな振る舞いをすればいいのか?」と考え、母が求めていることを読みました。
笑顔で家事を手伝ってくれる、ももちゃん
言わなくても手伝ってくれる、ももちゃん
ご飯を美味しそうに全部食べてくれる、ももちゃん
なるほど、そこを抑えれば安心して気が休まるのね。ならば、私は笑顔で母を全肯定する子どもになればいいのかと思い、その通りに振舞いました。
母の頭の中に映る【理想のももちゃん像】を目いっぱい想像し、それを自分の体を通して具現化するのです。
それで母が笑顔になり、寂しさが薄れ、家族の中に居場所を見出して欲しいと思ったのです。
社会人になっても
社会人になっても、やることは同じです。
その集団が何を目的に作られたのか?
誰が最も影響を与えていて、その人はどうしたいと思っているのか?
私に求められていることは?
と考えて、周りの言動を観察し、脳内にダウンロードしていきます。
そして、全身全霊で同じように体現していくのです。
誰かの望む「誰か」として振舞うとき、自分のキャパや、好き嫌いや、スキルの有無は、眼中にありません。
だから、上手くできないと、ただただ自分を責め、行動や知識が足りないのだろうと思って、勉強したり、周りに働きかけたりします。
体調を崩していることにも気づかず、次第に心にも影響が出て、ある日突然1歩も動けなくなってしまうんです。
コピーしないと私が消えちゃう
なぜ、同じようにできないの?
「みんな」はできるのに、なぜ私はできないの?
これが私の進む道だったはずなのに。
求められることをコピーして体現しないと、私を見てもらえない。私が消えちゃう。
そんな罪悪感、不安、焦り、といった感情に、いつも支配されていました。
自分の何かは間違っていて、欠陥品で、受け入れてもらえない存在なんだ。
だけど、その気持ちを表に出したら社会で生きていけないでしょ?
だって「みんな」はそんなこと言わないし、私にその気持ちを出すように言わないし、「みんな」が正しくて、全てを知っているんだろうから。
こんな風に考えていたようですが、自覚はありませんでした。
自分をわかって欲しいとも思わなかったし、もっと「こうしてよ」と要求することもありませんでした。
そして、人に期待していないことも無自覚でした。
気質と性格の違いを知ったら「同じ」だとわかった
人生30年以上、こんな感じでしたが。
気質や性格について知れば知るほど、自分が浮き彫りになって、どれも私の特徴だとわかったのです。
浮き彫りになった自分を基準に、他の人も観察してみると、みんな同じように「罪悪感」「不安」「焦り」を持っているのだと知りました。
私がずっと、知らずにコピーしていた感情は、みんな隠しているだけで心の中に持っているのだと。
「みんな」と「私」は違うのだと気づいたら、実はみんな同じだったとわかりました。
違うけど、同じ。だから、一緒にいる。
それでいいのだと思います。
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