小川さんの取材を通して、人生を語り見える化する効果を感じました。
自分の人生を語ること自体が心の癒しや、新たな気づきにつながるのでは?
自分について語っていただき、それを文字起こしする
ただ文字にするだけじゃなく。気質や性格の特徴を踏まえて、ストーリー仕立てに編集してお渡しする。
調べてみたら、ナラティブセラピー(物語療法)と言うのだと知りました。
人が問題なのではなく、問題が問題なのだと考える。
ナラティブとは、「語り」という意味です。
対話を通して言葉を紡ぎ、自分を縛っている物語を終わらせ、新しい物語に書き換えていく。
なんてステキ!!!!
スタートは「わたしは問題なかった」から
私はHSPに関して、「それが問題ではない」「そこをどうにかしようとしないことがスタート」というスタンス。
ブログでの発信は、摂食障害の克服奮闘記、恋愛や家族との格闘、何かを乗り越えることを中心に実況中継してきた。
その印象が強いと「HSPだけど頑張る」みたいに見えるのかなって。
そもそも向き合う覚悟を決められたのは、
私には何も問題はなかった
消そうと思っていた部分は、ただの自然現象だった
だったら、私は今のままで生きていいんだ
と、気づけたから。
疲れやすさに対処できたら楽になれる、繊細さを克服できたら、人間関係を続けることができる
激しい感情のアップダウンを改善できたら、もっと穏やかな日常が手に入る
これらは、根っこをしっかり作った後の枝葉の部分なんですね。
究極、なにもしなくていい
では、根っこの部分が何か?
これは、しつこいですが、
「私自身には、何も問題ない」
「私は今のままで、何かしなくても生きていていい」
「自分を消してまで、社会に合わせなくていい」
「(自分が見ている世界の)普通にならなくていい」
「頑張って改善しなくても、そのままで価値がある」
と、感じることです。
他のHSP関連の発信をしている人がどんなことを言っているか、詳しくはわかりませんが。
私は、究極「何もしなくていい」だと思っています。
というか、そこが出発点です。だから、HSPHSSは【ツール】なのです。
自分がいてHSPがある
自分自身であるけど、あくまで自分がいて、HSPがある。
HSPという他人がラベリングした名前に自分を明け渡すのではなく。
あくまでも、「私の人生の主役は私。HSPは私だけど、HSPがなくなっても、私は私」というスタンスを持つ。
そのうえで、疲れやすさにどう対処する?繊細さを武器にしていくには何ができる?と、具体的なテクニックを使っていくのです。
自己肯定感が高まるから、「そのままでいい」と理解できるのではなく。そのままでいいと思えるから、自己肯定感が高まるのです。
HSPHSSの特徴は、様々言われていますが。そのどれもが枝葉の話です。
あなたは、あなたのままでいいのです。今のままで。自分のことを責める、自分が嫌いな今のままで。
それが、あなたなのです。