この話は、最近ずっとオンラインサロンだけでしていて、表に出さないつもりだったのですが。
2020年に大きな心境の変化をもたらした出来事の1つだったので、ブログでもお話することにしました。
信じるか信じないかは、あなた次第です。
キラキラ光るナニカ

今年に入ってから、枕元でキラっとした光を何度も見ていまして。
光を反射するようなものは置いてないんですよ(・_・)
なんとなく、「ナニカだろうな~」とは思ったけど、「いやいや気のせいか」と思い直し、そのままにしていました。
光の粒がシューン
夏頃には、外を歩いているときに、ゴールドの光の粒がシューンと筋を帯びて低空飛行しているのを見ました。
これもまた、「ナニカだろうな~」と一瞬思いましたが、すぐ「いやいや気のせいか…」と思い直し、見なかったことにしました。
その後、家に帰って階段を上っていたら、目の前を同じくゴールドの光の粒がスンっと筋を帯びて横切りました。
「あぶな!なんだよ!」とビックリしましたが、あまりにハッキリ見えるので、さすがにナニカだろうと思いました。が、そのままにしました(・_・)
ちっちゃい羽根事件

ナニカの存在に気づきながらもスルーを続けていたところ。
ある日起きたら、デスクの上に『ちっちゃい羽』が落ちていました。
…
……
………
っえΣ(゚Д゚)!?
いやいやいやいやいやいや
どっから来た???
羽毛布団もカバーも今年買った新しいやつだし。
やんちゃな犬はいるけど、荒らした形跡もない。
ダウンコートも持ってない。
どゆこと?なんでここに?
よくわかんない、ポイ
きっと羽毛布団から出たんだな!
と思って、カバーをはいで隅から隅まで毛を探したら、1つだけ抜け出たものを発見しましたが。
明らかに形状が違う。
その後、
何これ、よくわかんないからいーや
ポイ
と、ごみ箱に捨てました(・_・)
オーラソーマの追い打ち

そんな珍事があった頃。
テスト運用中だったオンラインサロンで、オーラソーマの話になって。
なんとなく「また行きたいな」と思い、5年前からお世話になっている畑(はた)さんに連絡しました。
(サロンに向かう道中でも色々あったんですが、長くなるのでここでは割愛します。)
2年ぶりに受けたところ、ことごとく
- スピリチュアル
- サイキック
というキーワードが(;’∀’)
実は2年前の時点でそういう兆候はあったけど、ピンと来なくてスルーしてました。
オーラソーマが好きな理由
ちょっと余談ですが。
畑さんは、スピリチュアルの知識もありながら強要はせず、相手の理解しやすい例え話や言い回しで解説してくれる、本当にすごい人なんですよ。
オーラソーマに興味を持ったのは、色がキレイだし、選んだボトルが言葉を紡いでくれるので。
自分のことを話すのが苦手で、人と会話するときに気持ちを瞬時に言葉にできない私にとって、カラーセラピーは自己理解を深めるうってつけでした。
だから、生きづらさ解消に乗り出した5年前から、何度も畑さんに手伝ってもらって、自分を解明してきたのです。
オーラソーマはタロットや数秘とも関連しているので、取り扱う人はスピを前面に出している方が多いです。
そんな中で、畑さんはwebサイトを見てもわかるように、そこに執着していないので。
スピ系に興味のなかった私は「この人がいい」と思って、当時申し込んだんです。
ナニカの正体
話を本題に戻しまして。
選んだ色の意味を深堀りしている間も、ずっと
浮世離れしたくない!
変人は嫌だ!
もっと理解されなくなる!
やだー(;O;)
と駄々をこねてました。
それで、思い切って聞いたんです。
畑さんはナニカ見えることはありますか?
そしたら、イギリスでの修業時代のエピソードを教えてくれました。
ナニカのエピソード
当時、仲間が楽しそうに天使の話をしているとき、隣で
畑「なぁ~にが天使だよ!けっ!」
と思っていたそう。
すると、突然ヒラヒラと白い小さな羽が落ちてきたそう!!!
仲間「ほら!信じないとか言ってるからだよ」
畑「うっ、あるね(;’∀’)」
この話を聞いて、咄嗟に
その羽、私も見ました!!!
とリアクションしてしまい、ここでようやく「ナニカ」の存在を認めることとなったのです。
スピリチュアルの何が嫌なの?

駄々をこねる私に、畑さんがふと「スピリチュアルの何が嫌なの?」と聞きました。
そのときは、上手く答えられなかったのですが。
後日じっくり考えたとき、私が受け入れられないのはスピリチュアルそのものではなく、『スピリチュアル商法』なのだと思います。
信じないし否定もしない存在だった
もともと、スピリチュアルは信じてもいないし、否定もしていませんでした。
なぜなら、自分の目で見たことがないから。
実際は、それっぽい経験はしているけど見なかったことにしてきたので、信じないことにしていました。
だから、
人間が解明できていることは世界の一部で、説明できない出来事がこの世にはたくさんある
と考えるので、「信じない」という選択はしているけど、「否定はしない」スタンスだったんですね。
精神を説いているのに俗物的
違和感があって近づきたくないと思っていたのは、精神を説いているのに、すぐ俗物的な話をする人たちでした。
本当、無自覚だったけど。
ファッションやアクセサリー感覚でスピリチュアルを取り入れることに対して、どこか受け入れられなくて。
だって、生きる、心を成長させる、精神と向き合う、って実際ゲロ吐きそうなくらい大変なこともあるから。
器を広げるには、スピリチュアルと無関係な人間社会で折り合いをつけていく必要がある。
言葉を選ばずに言うなら、娯楽として取り入れている芸能人のファンと同じだと思ってたんですよね。
スピリチュアルとは人生そのもの
スピリチュアルを信じていなかったけど、受け入れざるを得ない現実を目の当たりにして。
ちゃんと考えてみた結果、スピリチュアルとは人生そのものだという結論に至りました。今のところね。
スピリット(魂)世界の話だとするならば。
私にとって、生きること自体が修行で試練の連続で。
1つ乗り越えて「よし!ようやく楽になる!」と思ったら、また新たな試練が訪れる。
その繰り返しの中で、自分の未熟さを知り、人の温かさを知り、限られた時間の中でやるべきことを探す。
生まれてきてしまったし、何度も「もう頑張った、人生これで終わりでいい」と思う瞬間がありましたが。
それでも、なんだかんだ生かされている。
もはや人生そのものがスピリチュアルなんですよね。
人間に求めるのをやめたら天使が降ってきた話でした
今年の冬は、寂しさを誰かに埋めてもらおうとせず、自分で満たそうキャンペーンをしているのですが。
人間に求めるのをやめたら、天使が降ってきました(+o+)
まさかの展開すぎて。
何があるかわからない。人生とは壮大な暇つぶしです。
長々と読んでいただいて、ありがとうございました。