今日の午前中は健康診断で、久しぶりに出身高校の近くを通りました。
3年間通った駅から「部活の朝練辛かったな」とか「文化祭の後、あそこのカラオケで打ち上げしたな」とか、当時を思い出しつつ病院まで歩きました。
学校の前は通らなかったけど、14年ぶりに通学路を歩いて、やっと過去にできたような気がします。
保健室と図書室のウラ
私にとって高校時代は黒歴史。
体調が悪くなるたび、母が何度も高速を飛ばして迎えに来てくれて。授業中我慢できず床に座り込んでしまい、その後保健室に駆け込んだこともありました。
薬の副作用で朝起きれず遅刻して、教室に入りにくくて、4階の図書室裏の通路から、ぼーっと空を眺めていたり。その通路から、校庭でサッカーしている生徒を見おろして、賑やかな声に切なくなったり。
仲良くしてくれる友達はたくさんいて、ハブられたり、いじめられることもなかった。みんな心配してくれた。ひとりになりたいけど、ひとりになるのが怖かった。
「私は、このまま生きていかなきゃいけないのか…」
「友達といると楽しいけど、なんか無理してる気がする」
そんなことを考えていた気がします。
「かわいそう」アピールがしたいだけ?
だけど。大人になって月日が経つうちに、そんな記憶も実は私の勘違いだったのかも、と思うようになりました。
過去を悪者にして「私はかわいそう」と、大変だったアピールをしたいから、いつまでもそう思っているのでは?と。
最近とくに、過去に囚われているだけなのでは?と思うようになったんです。
いい加減、忘れなよ。いつまで、たった3年間のことに囚われてるの?被害者アピールしてるから、いつまで経っても、そこから抜け出せないんだよ。
そんなことを、心の中の私が呟くようになりました。
楽しかった記憶も「なかったこと」にしてない?
苦しかったし、大変だったのは事実。だけど、本当にそれだけ?
本当に全部が全部、消したい過去なの?楽しかった思い出、大切にしたい思い出も、なかったことにしてるだけじゃないの?
久しぶりに14年前と同じ道を歩いてみて「私の高校生活は苦しくて大変だったけど。それなりに楽しいこともあった…のかもしれない」と、しんみりしました。